沼津港発!手塩にかけた「極めし者の本からすみ」 創業明治44年。今に継がれる秘味、”酒粕仕立”が人を笑顔にする理由

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目利きの職人が厳選する質の高い素材
熟練の技、太陽と潮風が豊かな味わいを作る

 日本三大珍味の一つで、ボラの卵巣から作る「からすみ」を独自の工夫で品質を高め、ファンを増やそうと奮闘する会社があります。主な産地として知られる長崎から遠く離れた静岡で、創業以来114年にわたってからすみ作りを継承し、「品質・技・味・調和」の極みを追求しています。

鮮魚問屋が隆盛の頃にも作り続けたからすみ

 「㊤川善」の名を響かせながら代々鮮魚の仲卸業を営む株式会社川善。沼津港周辺に広がる繁華街の玄関口に軒を連ね、秋から冬にかけて店舗前にズラリと並べた天日干しのからすみが道ゆく人の目を引きます。これまで期間限定だった直売スペースは2025年から通年オープンとし、からすみを入れたショーケースに、おすすめの食べ方などを教えてくれる粋なカウンターをオープンする計画です。「遠方からわざわざ足を運んでくださるお客様もいらっしゃるので、いつでも間近に見ていただけるようにしようと思いまして」。柔らかい潮風が吹く中、川善の主である4代目 川崎幸一は、からすみを次々に手早くかえしながら、そう話しました。

 川善の創業は明治44年。代々、鮮魚の仲卸を本業としてきた川善を4代目として幸一が継いだ昭和60年代。沼津港には大きな魚船が次々に寄港して水揚げ量も多く、早朝にセリが始まり、深夜まで魚の仕分けが終わらないほど活気がありました。一晩で100万円、200万円を稼ぐこともあり、何軒もある仲卸問屋は寝る間を惜しんで働くほど景気が良かったといいます。しかし、船上での魚の冷凍が可能になり、技術革新によって遠洋漁業が主となり流通の変化によって、沼津の港では大型船の寄港、入港する船の手数料や水揚げ量、市場の稼働率は激減。働く人々が減り、廃業に追い込まれる仲卸業者が増えました。

 川善も例外ではなく経営難の時代がありましたが、本業の傍ら、細々と地味ではあっても長きにわたり作り続けてきた「本からすみ」があったことで、なんとか持ち堪えてきました。そして今、沼津港発で手塩にかけた「極めし者の本からすみ」が、川善の主力商品となり、経営基盤を支え、躍進。「食べたら幸せな気持ちになれる」と、たくさんの笑顔を生み出しています。

受け継いだ熟練の技を見直し、品質を向上

 沼津港で揚がったボラからからすみを作る人は少なからずいたものの本業が忙し過ぎて、手を掛けて「商品」にまで作り上げる人はほとんどいませんでした。そんな中、先代たちが商売の柱を増やそうとからすみを止めることなく作り続けた結果、お客様も増えました。沼津港でボラが揚がらない時もありましたが、そこは仲卸。全国に広がるルートを活用し、時には高値で仕入れてでも、欠かさずからすみを作りました。「長いこと全国の仲卸の方々と取引させてもらってきて、大変な時には助けていただきました」と4代目 幸一は感謝の気持ちを語ります。

 しかし、「川善ののれんを残せるなら、他の業種に移ってもいい」と先代がいうほど、経営が厳しい時期もありました。4代目 幸一は、からすみに希望を託そうと奮起したのですが、追い討ちをかけるようにボラの価格が4〜5倍に跳ね上がる状況に。そこで、品質を高めて逆境を乗り切ろうと、ボラの卵巣を塩漬けし、塩出しして圧搾、天日干しで乾燥させるという一つ一つの工程、受け継がれてきた熟練の技を思い切って見直しました。「ボラが安かった時代は卵膜が弾けたら捨てていましたが、今は一つも無駄にできません。一つずつ塩水で丁寧に洗った後、和紙で包んで形を整えてから圧搾したところ、卵が弾けることがほぼなくなりました」と語ります。

 血抜きの技術を高めて臭みが出ないようにしたほか、干し方やその時間にも細心の注意を払っています。10月から始まる天日干しは、朝9時に板の上にからすみ数百枚を並べて夕方5時半にしまうまで、乾燥度合いに合わせて、2時間、4時間、6時間おきに反転させる必要があります。川善では、新鮮でしっかり卵が詰まった大ぶりのボラの卵巣(200〜400g)を使うので、一般的な場合より長く、1ヶ月から1ヶ月半ほども乾燥させます。乾く速度が速いと、中が空洞化して商品にならないので、猛暑が長かったここ2年は大変でした。じわじわ水分が抜けていくと、塩干しするほどに塩味が枯れて旨みになります。「付きっきりでからすみの面倒を見る苦労もありますが、泣き言は言わない。お客様を美味しさで唸らせるのが好きだから、やるしかありません」

地元コラボの「酒粕仕立て」で新たな味わい提案

 4代目 幸一の長男靖幸が5代目として、さらには次男裕太も家業に加わったことで、新たな商品開発が進んでいます。「薄切りにして食べる以外に違う味わいで、そしてもっと日常的に食べていただく方法はないだろうか」。そう考える中で熟成させることを思いつき、沼津の高嶋酒造株式会社に相談して代表銘柄「白隠正宗」の酒粕で「酒粕仕立て」を作ることにしました。薬膳料理を作る方の協力を得てレシピや漬け込む日数などを試行錯誤した結果、芳醇な味わいでまろやかな塩味、とろけるような滑らかさが独特な特製酒粕仕立てのからすみが出来上がりました。

 5代目 靖幸が発揮する営業力で高級料亭などとの取り引きが決まり、販路も拡大し始めました。贈答品として選ばれることも多いだけに、パッケージや包装、商品を入れる紙袋も高級感のあるものにグレードアップしました。さらに、「いいものを作っているのに認知度が低い。ブランディングが必要」という靖幸の提案でモンドセレクションに挑戦。その結果、文字通り丁寧に“手塩にかけて”作り上げた「本からすみ」は、2023年、2024年と最高金賞を2年連続で受賞。高い評価を得ることができました。

 からすみを一枚一枚、丁寧に作り続けたことで、ここまでのれんを守り続けて来た川善。靖幸は大学時代に海外留学するなど英語も堪能なので、海外への進出も視野に入れています。「このからすみで、多くの人を笑顔にしたい。日本の美食文化で、世界の人を幸せにしたい」。4代目幸一と5代目靖幸はそう口を揃えて、ますますの奮起を誓っていました。

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